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PADOK

"Cold Scent"

Multiness Records, 2012

ヘビースモーカーであった自分は、煙草をやめてから、世界の見え方が変わった。 それまでは何か、黒いものが自分の中に溜まってて、それが自分を不健康な形でハイにしてたのだが、 タバコをやめてから、その体の中にあった黒いものが無くなり、体に透き通るような感覚が出てきたのである。 そんな体で知覚する世界は、その前と同じく虚無的で、灰色がかったものではあったが、吸っている時と比べて、 ぼんやりと輝いていて、艶やかに見えたのである。そんな感覚になった自分と良くシンクロしたのが、 このPADOKの音楽であった。

彼の音楽を聴いていると、彼はこのアートワークのように、 諦観にも似た視線で世界を見ているような印象を受けるのだが、そのような視線を送っている彼が、 決して不幸感に苛まれているようには思えない。むしろ悲しい出来事も、ひどい出来事も、 可笑しな出来事も、少し対象と距離を取りながらそのままに受け入れ、それらに対し、 とても満たされた気持ちで視線を送っているように感じるのである。何かこの灰色がかった世界観で力み無く、 心地良さげに歌っている感じは、Aidan Bakerの"Green & Cold"を想い起こさせる。


PADOKはツチヤニボンドにベースとして参加している渡部牧人のソロプロジェクトである。 これまでのアルバムリリースには2007年の「Populars」、2008年の「Sweet tooth having Bitter dreams」がある。 そしてこの2012年リリースの「COLD SCENT」は彼の3rdアルバムに当たる。 基本的な編成は、PADOKの力みの無い、絹の織物のような心地良さを感じさせるボーカル、煌びやかなアルペジオを奏でるギター、 ポピュラーミュージック仕様のシンプルなドラムとベース。そこにホーン、クラリネット、時にバグパイプなどの吹奏楽器、 そしてシンセのFX音、ピアノ、オルガン、マラカス、フィールドレコーディングの音などが加えられる。 全体としてあまりエレクトロニックな感じはせず、緩やかでまったりとしたアコースティックな響きがしている。 あえていうならばTalk TalkのリードボーカルであったMark Hollisのソロアルバムに感じは近いかもしれない。

PADOKの楽曲群の大きな特徴は、転調で、曲のカラーをその途中でフッと変え、 聴く者を「お?」っと思わせるような、鮮やかに意表を付くような展開である。 これが聴く者の心にフックをかけるのである。例として一つピックアップするならば、 6曲目の"Bug's life in Black"が好例になるだろう。この曲では複数の転調が鮮やかに決まり、 まるで場面が次々と移り変わっていくかのように展開される。 雰囲気が途中でがらりと変わるので、自然と反応してしまうのだ。さらにはサビの場面でも転調が成され、 それにより壮大なサビが、世界への愛おしさや、生命の儚さとその切なさを感じさせるようなサビに変化している印象を受ける。

また、彼は良き作曲家であると同時に、良き作詞家でもある。 全体として彼の見ていたであろう日常の様々な情景が詞によって表現されているように感じる。 中でも鮮やかなように思えるのは、一曲目のTrail Bazerである。「名前だけ書いて白紙のまま サジを投げた答案」 「冬眠から覚めるには早く 動き始めたカエル」「今言わなければ消え去るほど 暖め過ぎた言葉」 「残酷さを誇る級友と 恥じらいを捨てた女子」、これらの詞を曲と共に聞いていると、 冬休みが明けて、卒業が間近に迫っている学生の風景が思い浮かんでくるようだ。 また、特定の人物を題材にしたかのような詞をを書くのも得意であるように思う。 2曲目の"イルメイト"の「まとわりついた迷いや悪意のやり場を考えている」と歌う箇所では、 若干病んでいる友人が浮かび上がってくるようであるし、 8曲目の"ダウジングガール"からは恋愛におけるシンデレラ症候群から脱却した女性が思い浮かんでくるようである。


エンジニアリングの質は高い。一つ一つの音が綺麗に録音・調整されていて、 全体として暖かみを感じさせる音になっている。ミックスの一つ一つギミックも効果的に機能していて、 それにより上手く展開が作られている。また、抑揚も結構残されているように感じる。 その傾向は8曲目のダウジングガールで顕著だ。初めは小さな音量から始まるが、曲がサビに向かうにつれ、 大きくゆったりと波打つようにして、音量が上がっていく。これにより、聴く者の感情にも波を与えてくれるのである。

この抑揚を残すというのは以外とリスナーに中毒性を与えるために侮れないの要素の一つである。 「フォルテ、フォルテ、フォルテ」の「フォルテ」よりも、 「ピアノ、ピアノ、フォルテ」の「フォルテ」の方が聴く者に大きなインパクトを残せる、 と言えばこの抑揚によってもたらされる恩恵が解るだろうと思う。 昨今のJ-Popやロックは曲に強いコンプレッサーをかけ、音圧を上げ、 小さかった音も聞こえるようにして、音質が良くなっているかのように聴かせるのが主流であるが、 その代償として音の抑揚というものが失われている。曲一曲の中での音量の変化が乏しいのである。 そうなると、曲が平坦になり、聴く人によっては退屈をしてしまったり、飽き易くなったりしてしまうのである。 現在にまで語り継がれている過去の名曲・名演の数々に、現在のコンプレッサーをかけまくったエンジニアリングが施されていたら、 語り継がれはしなかっただろう、とも言われている。 (とはいうものの、そうしたエンジニアリングを全て否定する気はない。なぜなら場合によっては効果的に思えることもあるからである。) PADOKはそうしたことに自覚的であるように思われる。そしてそれを上手く活用しようとしている。

自分が好きな曲は、冬が明ける頃の学校での情景が思い浮かぶ一曲目の「Trail Bazer」、 若干病んでいる友人の事を歌っているかのような二曲目の「イルメイト」、サビの素朴な歌声が印象的な四曲目の「ユグドラジルのフールたち」、 どことなくその虚無的な世界観と歌唱方法からOriginal Loveを想起させる七曲目の「ダウジングガール」、 などなど沢山あるが、中でも特筆すべきは六曲目の「Bug's life in Black」だろう。前述の通り、数々の転調が鮮やかに決まり、 場面が次々に移り変わっていくような展開である。そしてサビの段階に入ると、 森林の中を色んな野生動物が駆けていってるような情景が思い浮かび、サビの頂点を越したあたりで、 その様子がズームアウトされ、その自然風景が俯瞰的に自分の中に描かれる。僕はここに世界への愛や、 限りある生命の儚さから生ずる切なさのようなものを感じ、胸に込み上げてくるものを感じる。 何かこう、秘境を旅するTV番組のエンディングテーマに流れていそうな曲である。この自然や動物との親和性と、 渡部牧人の絹のような柔らかな歌声は、80年代のポストロックの先駆けとなったバンド、Talk Talkを想い起させる。


残念なのは、最後の曲の「Hevenward」のサビのボーカルの声が歪んでいるように聞こえる事と、 僕がついつい風呂場で口ずさむぐらい中毒になった、彼のSoundCloudにアップロードされている音源「鯨の朝」が入っていないことぐらい。 それを除けば大変満足な内容である。長くお付き合い出来そうな一枚だ。

自分のフィルターを通せば、昨年は彼がベースとして参加したツチヤニボンド、 PADOKと類似性を感じさせるシンガーソングライターでは山本精一、坂本慎太郎が様々なメディアに注目されていた印象があるが、 このいまいち取り上げられている感の無いPADOKも、彼らと同じぐらいの明るさのスポットライトが当たるに値するシンガーソングライターである。 PADOKは日本の東京の武蔵野市にひっそりと存在する珠玉のミュージシャンである。

Reviewer's Rating : 8.1 / 10.0

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