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Chilly Gonzales

"Solo Piano II"

Arts & Crafts, 2012

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僕は昔、日没前後の閑静な住宅街を歩いているのが好きだった。あたりは涼しくなり、家々には灯りが灯り始め、窓からは暖かい光が漏れてくる。その時間帯になると決まって、どこからかピアノの音色が聞こえてきたものである。僕はそのピアノを聴いているのが好きだった。それを聴いていると、なぜだが多幸感に包まれた。例え腕前があまりよろしくなくとも。Gonzalesのピアノを聴いていると、僕はあの頃聴いていたそのピアノを思い出す。


もちろんGonzalesにはピアノの腕前はある。とても上手だ。それは前作の"Solo Piano"でも証明されているし、同作品の"Deluxue Ediotion"に入っている、同じくカナダのピアニストのZygelとのピアノバトルでも証明されている。僕はオープニングアクトのZygelの超絶テクニックとフィーリングを併せ持つピアノに半ば圧倒され、正直これは分が悪いと思った。「Gonzalesは『ぐぅ』の音も出ない程、コテンパンにやられてしまうのではないか」と。だがその心配は杞憂に終わった。いざ始まってみると、彼は一歩も引かずに意外な程あったテクニックと持ち前のユーモアで、見事にZygelのピアノに対抗して見せたのである。

ただ僕の思うGonzalesのピアノの魅力というのは、少なくともそういうテクニカルな部分には無い。僕の思う彼のピアノの魅力というのは、彼の前作"Solo Piano"での演奏のような、常に一定の客観性と正直さが保たれているところにあるように思う。同作品では、終始彼は曲を大げさに盛り上げようとはしていなかった。盛り上がったとしても、それはつい盛り上がってしまった類の盛り上がりのように思えた。彼はほとんどの場合、その"盛り上がり"の外側に身を置くような感じでピアノを弾いていたのである。彼のピアノをライブハウスに来る客に例えれば、最前列でワーワーやらず、ライブハウスの後ろの壁に寄りかかって、少し周囲と距離を取る様にしてジーッとステージを観ているような客になるかもしれない。僕はそんな彼の正直さと少し冷めているかのような客観性に共感したし、好感を覚えたのである。確かSolo Pianoのクレジットでは「私は偽りの誠実さよりも、真性の浅薄さを好む」と書いてあったが、まさに彼のピアノはそれを体現したかのようなピアノであった。そしてそんな彼のピアノの音色を聴いていると、自分の心が妙に落ち着いて、心地良い気分になったものである。そして聴きながらデスクワークをしていると、不思議と作業が捗ったものだ。


今回のアルバムのピアノ演奏にもその感じは健在だ。しかし今作品では、前の作品にあったような物事を斜めに見ているような、一定の緊張感を感じさせるような感じは少なくなり、全体的にもう少し柔らかくなって、くだけた印象がある。Gonzalesのユーモラスな部分が前作よりも幾らか表面化した印象だ。またインスピレーションを受ける対象も前とは異なっている印象を受ける。前作品のピアノは、その場にはっきりと身を置きながらも、どことなく自室から遠くの景色を夢想しながら弾いているような曲が多かったのだけれど、今作品では意識がより自分の身近に向けられている印象があり、自分と自分の見た人々の暮らし、そしてそれぞれの物語を曲にした様な曲が多いように感じる。中でも良いと思うのは、秋の夜、仕事帰りのスーツ姿の男が、ヨーロッパの石畳の町をフラフラと歩いて、自分のやるせない人生を哀れみながら受け入れているような情景が思い浮かぶWinter Mezzo、そして沈み行く夕日を哀愁深く見つめ、街の人の様々な暮らしの様子が浮かんでくるようなラストの曲、"Papa Gavotte"だ。また11曲目のTrains of Thoughtも、タイトル通り電車から窓を眺めて物思いにふけっている様子が浮かんでくる秀作であると思う.

このアルバムの終わりに向かって収束の仕方がとてもイカしているように思える。まるで日が沈んていくように、秋の枯葉が地面に落ちていくにしてアルバムが終わっていくのである。Gonzalesの"Solo Piano II”は秋に聴くに相応しい郷愁感を帯びたソロピアノ曲集である。

Reviewer's Rating : 8.2 / 10.0

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