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ツジコノリコ

"SOLO"

インディーズ・メーカー, 2007

僕は孤独な人間であると思う。僕に恋人はいないし、友達はいる事はいるものの、そんなに頻繁に会って話すというわけでもなく、ゆるーい関係が続いているという感じだ。僕は孤独を愛している。誰にも邪魔されず、一人で黙々と作業をしているのは好きだし、一人で本を読んでいる時間もとても好きだ。だけど、たまにひどく寂しくなったり、色々な事があって荒んだりして、話し相手が欲しいと思う時がある。そんな時、僕はPCのドキュメント相手に話し、思考を外部化して整理して癒されたり、物事に傾注して忘れるなどの事を試みるのだが、最近はそんな時にこのアルバムは再生する事が多くなっている。ただ彼女の母性的な優しさや、愉快な一面に触れて、笑って、癒されたいがために。


ツジコノリコは日本のシンガーソングライターであるようだ。現在はフランスに在住している。Wikipediaによると彼女は「エレクトロニカ界の歌姫」と称され、オーストリアの実験/音響レーベルMego、イギリスのインディーレーベルFatCat Recordsなど、海外から多くの作品をリリースしている。その活動は音楽活動にとどまらず、映画にも幅を広げており、2005年には『砂、そしてミニハワイ』という短編映画の監督もしているようだ。


この作品"SOLO"が僕が初めて聴く彼女の作品となる。このアルバムを聴く限り、その音楽性はエレクトロニカをベースとした歌モノといった感じだ。そのトラックはまどろんでいて、実験的で、刺激的で、そして愉快である。トラックの作りは往々にして音の宇宙空間の中に、様々な効果音が散りばめられる、といった趣だ。使われている音もタイプライターを叩く音、猫やかもめの鳴き声、間の抜けた聴くと脱力するような宇宙的効果音など、独特なものが多数使われており、それらの音が曲の雰囲気に応じて挿入される。ここら辺の音の使い方には、彼女の愉快な面が良く出ているように思う。そしてそんなトラックの上に、彼女の母性的な優しさの溢れた、良い意味でねっとりとした、退廃的かつユーモラスなヴォーカルが乗る。

一曲目のMagicは強烈だ。彼女の持つ母性的な優しさや癒しの要素が前面に出ている曲であると思う。この曲で彼女は「『結局僕らなんにも成し遂げられなかった』だなんて、ちっともそんな事ない」、「『何者でもないんだ僕は』だなんて、ちっともそんな事ない」と、まるで荒んで落ち込んでいる男性を、とにかく励ますかのように歌う。僕はそんな彼女のヴォーカルを聴くと、ヴィンセント・ギャロ監督・主演Buffalo '66のヒロイン、クリスティーナ・リッチ演じるレイラを思い起こす。レイラは刑務所から出所したての荒んだギャロ演じるビリーを励まし、癒し続けるような女性だ。あの映画を見てレイラのあまりにも都合の良い、出来すぎた女っぷりに、イライラした女性の感想はネットで沢山見かけたが、もし巷で言われている「レイラはビリーの作り出した、三次元のフィギュア」という仮説が正しければ、そうした女性たちの反応も無理もない。ツジコノリコのこの曲においての振る舞いからも、そのレイラのような三次元のフィギュア的なものが感じられる、が、それはレイラの様な男の作り出した虚構や妄想の産物ではなく、彼女の実体から確かに溢れ出ているものの様に感じられる。

「Ending Kiss」も彼女の母性的な優しさや純情さが溢れ出ているマイナー調の一曲だ。「どこかで生きているってこと、それだけじゃ足りないよね、優しく出来ないよね。」などという歌詞からは、物理的距離が離れてしまった恋人の事を想う女性の心情のようなものが良く表現されているように思う。現在、恋人同士というのはお互いの距離が離れても、様々な通信手段があるので、回線を通して話す事は出来るのだが、そこには常に物足りなさが残るものだ。触れる事も、色々と世話を焼く事が出来ない。そんな時の心情が良く描写された良曲であると思う。

そしてこのアルバムには、死ぬまでに聴けて良かったというレベルの曲がある。"No Error in My Memory"という曲だ。彼女のラップはまるで日常の彼女の思考を垂れ流しているようで、それが幻覚的な描写と相まって、リアルでありながらも摩訶不思議な都会の生活の情景が思い浮かんでくる曲である。そしてそのラップの内容に呼応するように様々な音響処理が行われて、それがその場面における彼女の心情が表現されているようで、可笑しい。最後は彼女のラップが早回しされて、パンで左右に振られ、それを聴いていると頭が面白可笑しくなる。


僕は他者に肯定的な期待があまり持てていない人間だと思う。事実、僕は、時に人間が想像を絶する程に愚かで、醜悪で、最低になれるのかを知っていて、そういう事態に対する心や頭の準備をしている。ただそうしている内にどんどん心が荒んでいく事があって、他者がひどく無価値に思えてくる事がある。しかし彼女のこのアルバムを通して溢れる彼女の純情な内面を触れていると、人間の肯定的な部分にもう少し期待を持ってみていいのかなという気にもさせられる。

以上のような意味で、このアルバムは世の荒んだ男性たちに聴いて欲しいと思う一枚である。このアルバムを介したツジコノリコは経験値があって、優しくて、可愛げがあって、愉快で、面白い女性である。

Reviewer's Rating : 8.3 / 10.0

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