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北園みなみ

"Promenade"

P.S.C., 2014

--2ha7BEueE

この前、モーツァルトのドキュメンタリー番組をNHKで観た。彼は天才である上に、天才であり続けるため、様々な音楽を自分の中に取り込んでいったそうな。北園みなみのあらゆる音源を聴く限り、彼にも似たようなものを感じる。シティポップ、ビッグバンド、ジャズ、即興音楽、ブルース、プログレ、ボサノバ、クラシック、ワルツ、ゲーム音楽、日本の伝統音楽などなど、様々の要素が感じられる。多分、日頃から他人の音楽を真似て学んでいるのだろう。


北園みなみ嗣永桃子こと「ももち」にぞっこんのシンガー・ソングライターだ。あまりにも彼女好きをアピールしたせいか、彼のデビュー・ミニアルバムは女性アイドルコーナーに置かれしまったこともある程だ。アスキーによるインタビューによると、彼は音楽の専門学校に通っていて、そこでコントラバスを習っていたようだ。音楽学校の名門バークリーにも、奨学金をもらって、留学するという話も出ていたが、結局その時音楽をやりたくなかったという理由で、行かなかったようだ。尊敬するベーシストはジャコ。中学の頃は吹奏楽部にいて、その部室にマリンバやグランドピアノなど、様々な楽器があったので、片っ端から演奏していったらしい。なるほど、それが彼のマルチ・インストゥルメンタルっぶりの基礎となったのかもしれない。


今まで彼は全ての楽器を一人で弾いて多重録音をして曲を作ってネットにアップロードしていたようだが、このミニ・アルバムに関しては、様々な楽器演奏者を迎えて、録音しているようだ。一曲目「ソフトポップ」の楽器編成が一番ゴージャスで、ドラム、エレキベース、エレキギター、キーボード、シンセサイザー、ヴォーカル、キーボード、トランペット、アルト・テナーサックス、トロンボーン、フルート、ハープ、ストリングスも入る、というような編成だ。

そしてそれを自在に操って音楽を作り出す、北園みなみのポピュラーミュージックの作曲、編曲能力は恐ろしく高い。一段落目で述べた様な各ジャンルの要素が散りばめられている上、多種多様な楽器を使用した遊びの要素、飾りの要素が、楽曲の至る所にある。転調を使った次から次へと場面が移り変わっていくような展開もしょっちゅうだ。そこにLampの榊原香保里の胸キュンコーラスが入り、それが恋愛観連の曲、特に「電話越しに」において、とても良いアクセントとなっている。その結果、音楽として大変派手で、ゴージャスで、創造性に溢れた、奔放で甘酸っぱいシティポップとなっている。

彼の音楽を聴いてると、彼は作曲中、次から次へとアイディアが溢れ出て来て、音を入れる隙間を見つけては、何か入れて面白くしたくなるような感じで作業しているのだろうな、と想像する。そんな彼の創造性が存分に外部化されているような印象だ。もしかしたらSquarepusherのような音楽をポピュラー音楽縛りで作ったら、こんな感じになるかもしれない。人によっては凄過ぎて疲れる事すらあるだろうという意味でも。これはポピュラーミュージックの革新とさえ言いたくなる様な音楽だ。少なくとも僕は今までこんなポピュラーミュージックを聴いた事が無いからである。現在革新的な音楽は電子音楽界隈に集中しているが、彼はポピュラーミュージックの枠内で革新的な音楽を作ってしまったのではないかと思う。


あえて一つ苦言を呈するのだとしたら、少し音質に粗さを感じる。聴いている限りでは、コンデンサーマイクで録るべきパートをダイナミックマイクで録ってしまっているような印象があるのだ。もしかしたら使われている楽器が大変多いので、それを上手く処理しきれず、どこかで音が喧嘩してしまっているのもあるかもしれない。ただそんな批判は、この笑っちゃうぐらいの凄さを前にすると、いささか無粋なものかもしれない。

現在、彼は無職であるらしい。理由は解らない。とにかく音楽以外の事をやっていたくない人なのかもしれない。でも僕が北園みなみ並の作曲・編曲・演奏力が持っていたならば僕もそう考えるだろう。彼に音楽以外の事をやらせるのは余りにももったいないし、それは大きな社会的損失であると思う。北園みなみのミニ・アルバム、「Promenade」は、小さいながらも日本のポップミュージック界に衝撃を与えている。

Reviewer's Rating : 5.5 / 10.0

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