nuojuva-valot_kaukaa-200_200.pngartwork-200_200-artwork-

ツチヤニボンド

"2"

AnalogPants, 2011

ツチヤニボンドのこのアルバムを聴いていると、オリジナリティーとは何なのかを改めて考えさせられる。 「オリジナリティー」の定義が「独自性」であるのならば、僕から見れば明らかにツチヤニボンドの音楽は「オリジナリティー」が強いように思える。 なぜなら、単純に僕はこのような音楽を以前に聴いた事が無く、唯一無二のように思えるからだ。 しかし、その「オリジナリティー」の素材となっているのは、中国や日本の宮廷音楽、ガムラン、電子音楽、サイケデリック、などの既存の音楽である。

では、ツチヤニボンドの「オリジナリティー」というのはどの部分でで作られているのか? 恐らく、それらの「素材」を混ぜ合わせつつ、曲としてPOPに昇華させる部分にあるのだと思う。 彼らの「オリジナリティー」は、彼らの「エディターシップ」の部分にある、と言ってもいいかもしれない。 数ある既存の食材を、どのように料理するか、の部分である。

そして、そのような料理を経て出来た楽曲群は「オリジナリティー」があると思うし、 斬新であると言えば斬新だし、先鋭的と言えば先鋭的である。 しかし、突き詰めて考えてみると、僕がこのバンドが好きな理由は、オリジナリティーがあるから、斬新であるから、先鋭的であるから、 という理由からではないように思う。何かこう、面白い事やろう、新しい事をやろう、という彼らの心構えから溢れ出る、 天然のクリエイティビティーのようなものが、音楽という形式で出力され、それが僕を楽しませているように思える。 サッカーで次に何をやるかわからない、見ててワクワクする選手っているけれど、 ツチヤニボンドは日本のインディーロック界において、そういう存在であるように思える。


ツチヤニボンドの公式サイトによると、 ツチヤニボンドは『土屋貴雅による音楽プロジェクト』とある。 ここまであからさまにワンマンバンドである事を宣言しているバンドは珍しい。また彼以外のメンバーは流動的である。 この1stアルバムの制作時は、亀坂英(guitar)、土方雅哉(drums)が参加していたが、2ndアルバムではドラムが波照間将に替わり、 ベースにPADOKというプロジェクトをやっている、渡部牧人が参加する。 さらにここに書かれている経歴を追ってみると、2004年にCook Friday、Penher のバンド活動停止後、 土屋自身の想い描く音楽をやるために、ツチヤニボンドを構想し、ライブ活動を経て、 2007年に1st アルバムとなる「ツチヤニボンド」をリリース。さらにライブ活動を経て、 2011年11月11日というぞろ目の日に、この「ツチヤニボンド「2」」をリリースしている。 この2nd アルバムのリリース後に、ネットの各所から絶賛の声が挙がっていたのを覚えている。 そのネットでの今作の反応の一部はここにまとめられている。 ミュージックマガジンで、個人の年間ベストにこのアルバムを挙げていた人が数人いたことが、 この大きな反響を呼ぶきっかけとなったのであろう。


さて、その大反響を呼ぶ事になったツチヤニボンド「2」を聴いてみよう。どこかの民族音楽のリズムを刻む音と、 打ち込みでリズムを刻む音を合わせた、ダウナーでサイケデリックで、このアルバムへの期待感を感じさせるイントロ曲、「KUROFUNE」を終えると、 二曲目のキラーチューン「おとなりさん」が始まる。この曲からは彼らのクリエイティビティーがビシバシ伝わってくる。 この音楽から伺える彼らの姿勢は「取り入れられるものは何でも取り入れる」である。 中国や日本の宮廷音楽、ハワイアン、ガムラン、電子音楽、サイケデリック、などなど、 それらを組み合わせて、ポップに、そしてロックに曲を昇華させる手腕は見事としかいいようがない。 何かこの日本という極東の地に置いて、新しい音楽ジャンルの生成に成功してしまった感がある。 最も、このような音楽を真似するのは簡単なことではないと思うので、流行りはしないと思うが。

ただどうも、3曲目からは中だるみが始まってしまったような印象を受けた。 何かこう、スタジオでジャムりながら、ノリで作ったようなロックロールナンバーや、ストレートで痛快なロックンロールナンバー、ダウナーな曲、 しみじみとした曲が続くが、どれも1曲目、2曲目のインパクトと比べると、どうも印象が弱い。

その原因としては、楽曲の面白さや、後に指摘する音質の点など、色々考えられるが、ここでは土屋の低域でのボーカルの弱さを指摘しておきたい。 彼のボーカルは高めのキーだと、その魅力を存分に発揮するけれども、低いキーを歌わせるとパワー不足を露呈する。 このダウナー気味のボーカルが味であるという人はいるだろう。 事実、僕は一部のシューゲーザー・ポストロックの力の無く俯きながら歌っているようなボーカルが好きなので、 こういうボーカルに対する理解は十二分にあるつもりだ。 ただ、この遊び心に溢れた楽曲群の中で、このボーカルは力が無い印象を受けた。 何もメタルやハードロックのように声を張り上げて欲しいわけではなく、 低いキーを力み無く歌いながらも、何かこう、声を体の中で響かせるような感じがもっと欲しいのだ。

8曲目、9曲目では土屋の高めのキーでの歌の上手さが鮮明となる。 8曲目の「カナリア」は2曲目の「おとなりさん」以上に好きかもしれない。 この曲の土屋の力みの無く、聴いててウットリするようなファルセットのボーカル、 そしてそれを引き立てるような楽園的で夢見心地な音は、Talk TalkのSpirit of Edenの心地良さ、楽園的な雰囲気を想起させる。 9曲目の「夜になるまでまって」も8曲目の「カナリア」と似たような横ノリの雰囲気の曲で、夕暮れ時の風景を強く思い起こさせる、 哀愁漂う、幸福感に溢れた曲だ。何か夕暮れ時間、仲の良い男女が手を繋いで、仲良く家に帰っていく情景が思い浮かんでくる。

そして11曲目の「WHISKY WOMAN & HEROIN BOY」は、このアルバムを締め括るにふさわしい、 プログレのアルバムの終わりのような、サイケロックのアルバムの終わりのような、退廃的な曲である。 スローで、まるで酩酊しているかのような曲調から始まり、サビになるとディストーションギターが「デーン!」と鳴らされ、 一気に天に召される。その後サイケデリックを思わせるヒューヒューピューピューと鳴るシンセの効果音が鳴らされ、 最後はまるで酔い潰れるかのように、幕を閉じる。


残念ながら全体的に音質はさほどいいとは言えない。 2曲目の「おとなりさん」、8曲目の「カナリア」、9曲目「夜になるまでまって」などでは魅力的な音が出ているが、 全体で見ると録音が若干粗いように感じる部分が多い。何かこういまいち音が繊細に録れておらず、音があまりシャッキリせず、 音が若干籠ってしまっているような印象を受ける箇所が多いのだ。「このローファイさが味なのだよ」と言われたら、 半分は納得するが、半分は懐疑的になる。 例えばAriel Pink's Haunted Graffitiのように「ローファイさ」を前面に押し出しているのであるならば、 その「ローファイさ」は肯定的に捉える事できるが、ツチヤニボンドは今のところ、 そこまで「ローファイさ」を売りにしているバンドではないので、そこまで肯定的には捉えられない。 もう少し音質を向上させるだけでも、もっともっと多くの人に聴かれるだろうと思う。



少し残念なところはあるものの、電子音楽、クラブミュージック、アイドルなどに押されっぱなしであった、 元気ない日本のインディーロック界に、ツチヤニボンドはその溢れんばかりの天然のクリエイティビティーで一石を投じた事は、 紛れもない事実であると思う。"ツチヤニボンド『2』"は、ありとあらゆる音楽の要素を取り込んだ結果、 今までに聴いた事の無い、独自性の高いロックを創り出してしまった、天然のクリエイティビティーに溢れた作品である。 アルバムの初めの方と終わりの方が、とても良かったので、アルバムの中盤の楽曲群と、全体的な音質さえもっと良かったら、 かなりの傑作になったのではないか、と思うと、もったいない気もする。

Reviewer's Rating : 7.2 / 10.0

<< BUDDY GIRL and MECHANIC - "BUDDY GIRL and MECHANIC"

Nuojuva - "Valot Kaukaa" >>